大人と接する機会の多い子どもで、少し大人びた少年だったと思います。裕福でない家庭だったこともあり、いち早く社会への理解も深まっていったと思います。父からは、幼少期に市長になると言っていたと聞かされています。中学時代に、父から高校進学を自分で選択するように求められ、親に高校進学をお願いしました。これによって勉学せざるを得ない状況になってしまいました。
大学入試に有利な環境でかつ、経済的な負担も少ない進学先を探して、広島市内の公立祇園北高校を選びました。父がバス会社の社員だったため、通学費用がゼロであったことも大きかったです。3年生の時に、芸能人の綾瀬はるかさんが1年生として入学(後に転校)してきて、校庭で走っている姿を見たことがあるというのが、ささやかな自慢です(笑)。
京都大学を選んだのは、日本史にたびたび登場する由緒ある建物などが多く、京都の街並みにも憧れがあったからです。元々は医者を目指していましたが、経済的理由で断念し、手っ取り早く、手堅く稼げる金融機関を目指すため、経済学部を選びました。
専攻は「計量経済」(経済データ分析に統計的な方法を応用する学問)で、それ以外も金融機関に関係する知識に絞って学んでいました。財政・地方行政に関してもこの時代に学びました。
また、大道芸サークルに所属し、ジャグリングは特技です。この時の経験が、舞台慣れや批判慣れの土台になっていると思います。アルバイトは現実的な選択で、時給のいいホテルのウェイターを選び、結婚式で料理をサーブしていました。
入行時は姫路支店に配属し、営業に精を出していました。2014年に上司から推薦され、子会社「MUFGユニオンバンク」へ。ニューヨークに初代駐在員として赴任しました。為替アナリストとして、アメリカ大陸の主要9か国25都市に年間約100日近い出張をこなし、各国の経済の分析・予測を行ないました。この時、日本・広島・安芸高田という「故郷」の良さに気づき、いずれは戻りたいという気持ちが湧いてきました。
三菱UFJ銀行時代に培った実務能力と経済感覚で財政再建に取り組み、5年連続赤字だった市の財政を、効率化によって黒字化させることができました。ただ削っただけではなく、小中学校の給食無償化や、高校の生徒会長への100万円投資など、未来への投資にも繋げられることができ、文句のつけようのない実績だと自負しています。自画自賛になってしまいました、すみません。また、いち早く配信で開かれた議会を進めました。その上で、感情論を排したロジカルな議論を徹底し、計算しつくした力強いパフォーマンスで、忖度や根回しのない形で議会と相対したことが、世間の関心を呼び、「劇場型」と揶揄されながらも続けたことで、市政への関心を集めることに成功しました。その結果、市民の意識は大きく変わり、公約で掲げた政治再建を達成することに繋がりました。市の公式YouTubeが自治体日本一と登録者数になったのもその証だと思います。そして、その影響力を活かし、市内で生み出せない産業は外から力を借りる方針で進めた結果、東京ニュービジネス協議会(NBC)との包括連携協定に結び付きました。これで、産業創出にも一定の道筋をつけることができました。選挙で掲げた公約をこの4年弱でほぼ達成し、一期4年でできることはやりきったと思っています。
YouTubeなどでは厳しい姿勢の場面をよく使われるので、怖いイメージをもたれているかもしれませんが、職員との関係は常に良好でした。この4年間で米村副市長をはじめ、かなりの職員が大きく成長できたのではないかと思っています。2024年6月6日に行われた盛大な「退任式」では、必死についてきた職員たちへの感謝が溢れ、思わず涙がでてしまいました。そして、日曜夜に実施していた「Meet-upオンライン」では、視聴者と存分に楽しませていただいたので、普通の41歳の素を見せられたのではないかと思っています。